ひまわりごと

初めて話す震災の話




どうもこんにちは。
ひまわり(@positivegirl___)です。

先日、しゅうへいさんの公開コンサルを受けたお話しをしました。

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私が今まであまり話してこなかった、東日本大震災のこと。
自然災害だから防ぐ事はできないのかもしれないけど、経験談を語り継ぐことは大事。わかってはいるけど、なかなか話したくはなかった。
皆怖くて書けない、言えない。
私だって。
でも、皆知りたい事ではある。誰かの役にたつのなら書いてみようと…

3月11日地震があった

私はちょうど休みだった。
家でテレビを見ていたら地震が来て、めちゃくちゃ揺れて、閉まっていたクローゼットが開いた。薄型テレビはテレビ台から落ちた。
私は動けなかった。ただただ「きゃー」って言うだけ。
ある程度揺れがおさまったあと、実家に電話をかけるが出ず。
それからひたすらかけたけど出なかった。それから、津波に飲まれる可能性のある親戚、同級生に片っ端から連絡。やっと同級生に繋がった。
「津波が来て帰れないよ。ひまわりんちもアウトだろう。いやー、それよりお前から電話が来たことが嬉しい」
ってのんきなことおっしゃってました。
アウトなのは知っていた。なぜなら我が家はその地区では一番海に近い家。徒歩3分でしたから。
そのあと弟に電話が繋がり
「ばーちゃんも父さんも母さんも死んだと思う」
と言われる。

人は立て続けに今まで経験したことがないことを経験すると、無になる。
停電もしていたので、とりあえず寝ることに。寝て起きたら停電が直っていて親からも連絡が来て、また何て事ない日常が送れると思っていた。

地獄の3日間

次の日も停電は直らず。
家族が生きてるか死んでるかわからない状態だったから、今すぐ探しに行きたかった。
でも、通行止めで緊急車両しか通れず。
「家族が死んだかもしれないんです!」なんて声をからして言っても、緊急車両しか通れなかった。仕方ないことなんですが。
私は介護施設で働いていて、職場に向かうと停電でナースコールもならないので、皆ホールに集め介護を行う。
職場に行くと職場の人が一目散に抱き締めてくれた。
「怖かったね。家族は大丈夫?」
そこで初めて私は泣いた。声を出して泣いた。泣き崩れた。

発電機で電気をつけ、テレビを見ると私の実家方面が津波に飲まれている映像がちょうど流れる。
何も言えず、ただ涙を堪えるしかなかった。
寝れず食べれずの日が続き、家族の安否もわからず3日。地獄でした。生きた心地しませんでした。
3日目、やっと母親と電話が繋がり全員無事で生きていることを知る。安堵感で、この時も泣き崩れた。

やっと家族と再会

私が家族と会えたのは約1週間後。
行きたくて行きたくて仕方なかったけど、緊急車両以外通行止めになっていたし、私が行くよりその私が行くスペースやガソリンで、物資を届けてほしかった。
「何でひまわりはこない、ひまわりに会いたい」と実の娘より孫に会いたいと泣いている祖母の言葉に限界がきた。
一般車両も通れるようになったということで行くことに。
車で行けるところまで行くと、あり得ないところに船があったり、目的地につくまでにショッキングすぎて、運転しながら泣きじゃくり、一人で「こんなの私の知ってる場所じゃない」「なんで?」「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」と連呼。大声で叫ぶ。
私、戦争を経験したことはありませんが、戦争の時はこんな感じだったんじゃないかというような悲惨さでした。まさに地獄絵図。

我が家はびっくりするくらい山の方に流されていました。そりゃ約40メートルの津波が来たんだもんね。
いつも遊んでたところ、こっそりタバコ吸ってたところ、デートしてたところ、ぜーんぶ流されてしまった。
ここが家で…とか説明されたけどなにがなんだかわからない。
嫌だ嫌だとしか言葉が出ず、ただただ泣くだけ。

大好きで大好きで大好きな海が初めて憎らしくなった。

あれから8年

家族は仮設住宅には5年いました。
今は新しい家をたてて、そこに両親は暮らしています。
私の実家があった場所、もう住むことは出来ません。危険区域に設定されました。私の実家があったところは、分厚くて高い防波堤のコンクリートの中に埋まってしまいます。
街も復興に向かっています。
沢山のご支援、本当に感謝しています。ありがとうございます。
スーパーで募金箱にお金を入れている人を見て「ありがとうございます」と泣いたことも。
本当に助けられたんです。
お金ももちろんですが、それ以上にその気持ちに。

おわりに

やっぱり暗い話になってしまいましたが、何か感じれることがあったなら幸いです。
色々ありすぎてまとまらなかったというのが、正直なところです。言葉足らずですいません。
しゅうへいさんのコンサルもきっかけになったのはそうですが、先日月命日があったということと、お盆なので震災で亡くなった親戚たちも帰ってきているということで書いてみました。

私が家族を最優先、第一に考えるのは、きっと震災を経験したからだと思います。
当たり前が当たり前ではなくなったあの日。
自分以外の家族が一気に死んでしまったと思ったあの日、「私も死んでしまいたい」「なんで私じゃなかったんだ」とも思いましたし、家族の安否がわかるまで生きた心地はしませんでした。
家族全員が死んでもおかしくなかった状況で、みんな命は助かった。
家は海に流されてしまったけれど、生きていれば何でもできます。
それ以来、なんでも「ありがとう」と感謝できるようになったと思います。

自分に起きた出来事には、向き合う必要があるからその出来事が起きるんだと思いました。
なので、逃げちゃダメなんです。…といっても、まだまだ泣いちゃうし9割は言いたくないし思い出したくない気持ち。
でも、ゆっくりでもいいから向き合って行きたいなと思いました。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

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ひまわり
アラサー、結婚4年目の旦那大好き兼業主婦です。スーパープラス思考で基本的に嫌なことは寝れば忘れます。でもデリケート(笑)お腹がすけば不機嫌になります(笑) 好きなもの→炭酸ジュース、ウナギ、旦那、家族、友達、100均、海、ネットサーフィン(笑)
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